私が初めてお金をいただくプロとして、占いのお仕事をしたのは
10年以上前の話になると思います。
師匠から「この夏にこういうお仕事があって、その後、秋には
こういうお仕事があるから、Pink ちゃん、やってみなさい」と
言われて、いただいたお仕事が地方への出張鑑定でした。
出張鑑定というのはたいてい、イベントで行うことが多く、
事務所を通じて、占い師が派遣されるといった感じです。
師匠の所にちょうどイベント事務所から
「占い師を何人か派遣したい」というオファーが来ていて、
先輩占い師が前半、後半に私が行く、といった形で派遣される
ことになりました。
その時の出張先は・・・温泉街です(爆!)
某県にある有名な温泉街の観光ホテルで夏休み限定の
特別イベントとして「占いコーナー」をロビーに出すことにしたので、
そこで鑑定する占い師を・・ということでした。
当時、私は自営業にドップリでしたから、あまり長い間、
経営に関わる云々をおろそかにすることができないので、
「2週間程度だったら、行きます!」と言ったのを覚えています。
そのホテルの従業員さん達が滞在する社員寮に泊まりました。
お風呂は温泉に入れますが、露天風呂には時間帯が合わず、
入れなかったのが、残念でした(←おい!仕事でしょ・・みたいな)
食事は社員の方と同じものをいただきました。
昼食のみ500円かかり、朝と夕は滞在費同様、事務所持ち。
コンビニまでは歩いて20分かかり、なかなか行けないので
一度、行ったらまとめ買い。
東京からそのホテルまでの行き帰りは事務所の方が
車で往復してくれました。しかし・・なんせお盆シーズンの
ことなので、行きだけで8時間もかかってしまいました(汗)
占いコーナーは夕方6時から9時までの3時間のみ。
一人1000円で鑑定するのですが、時間はだいたい20分程度で
と言われていましたが、3時間で12〜13人鑑定しました。
・・・・・・・・・・・・・・・1日目にして、いきなり@
「師匠!助けて下さいー!」と思いました(汗)
とにかく初めての対面鑑定である上にもちろん、
ホロスコープの作成もご相談者の目の前で
作らなければならない。
しかも、温泉街ということもあって、ご相談者の年齢層が!!
10代から70代までとホントに様々で内容も多種多様で。
もちろん、男性も女性もいるので、20代そこそこの私には
恐れ多く、泣きたくなる大きな問題をポンポンと持ってくる・・。
心の中で「ああ・・事業のことなんて、こんな小娘に聞いてくるなー!」
とか思いつつ、ホロスコープに浮かんだことをそのまま伝えると
妙に納得し、「あんたの言うとおりだ。たいしたモンだよ、お嬢さん」
と言って帰っていく・・というオジサマもいましたが、
もう・・・とにかく一時はどうなるかと思う程、焦りました(汗)
「この子の進路を占って」「子育てに悩んじゃってる、どうすればいい?」
「今の店をたたむべきか・・?」「遠距離をしている彼氏以外に好きな人が・・」
見た目の若さなど、もう関係ないのだ・・と私はその時、思いました。
占い師は占い師なのです。
私が子育ての経験がなかろうが、人生経験が浅かろうが、
ご相談者さまには関係がないのですー。
「占い師は何でも見えるハズだ。答えがわかるハズだ」と
思っていらっしゃる。
皆、答えを見つけたいから、ご相談にいらっしゃるのだと。
さらに私は後半の担当で、前半に先輩占い師が先にイベントの
鑑定を行っていたんですね。
皆、ホテルの従業員の方たちが口をそろえて「あの占い師さん、
驚くほど、当たるのよ!怖い位ね・・。次はあなたがやるのね?
宜しく!!」と言われ、ものすごいプレッシャーで、どうしようかと
思ってオロオロしたのも覚えています。
先輩占い師のM先生は、実は早く答えを出すのに適している
タロットカードを専門にしている先生で、私はその時に
改めてタロットカードの的中率に気づくことになり、その後、
東京に帰ってからタロットカードの鑑定を深めるために、
M先生に師事しました。
この出張鑑定では他に同じ社員寮に滞在している子がいました。
それはロビーでピアノを弾く、ピアニストさんでした。
同じ東京の事務所から派遣されてきていたのです。
年も私の1つ下で、やはり前半に先輩ピアニストが先に来ていて、
自分は「あの先輩みたいに出来るかどうか、わからない・・」という
プレッシャーの中、この仕事が始まった・・と話してくれました。
十数年経った今では、私もフリーで活動する占い師になり、
彼女は横浜にある有名な迎賓館のウェディング・プレーヤーという
花形を持ちながら、個人で生徒さんを持つ先生に成長しました。
私はその年、夏の仕事を終えてから、秋には関東近郊を新幹線で
まわり、百貨店やジャズクラブなどで企画される出張鑑定のお仕事を
こなしていきました。
バレンタインやクリスマスなどでやはり、一回1000円で20分程度
で鑑定する・・という形態で数えきれない件数のご相談を受けました。
「お勉強をしたら、すぐ実践!」という師匠のスタイルを私は本当に
感謝していますし、そして、その下積みをしていた時に出会った
ピアニストの友人は今でもずっと連絡を取り、近況報告をしています。
彼女はそのホテルでも昼間使用されていない宴会用の部屋にある
ピアノで一日中、練習をしていました。
私もその横でずっと星の研究をしていたので、すぐに2人の距離は
近くなりました。
私はずっと占い師としてその後、生計を立てていた訳ではない、
という点がピアノでその後も生計を立てていた彼女と違う所です。
私は自営業の切り盛りが忙しくなって、占いを仕事としてはずっと
続けていくことは出来なくなりました。
師匠の所にも足を運べる時間もなくなっていき、独学をしたり、
通信教育をしながら「占星学が好きだから、研究だけは続けたい」
といった感じです。
自営のしがらみがなくなった後に少しずつ、今度は会社でOLを
しながら、占い記事を書くライターの仕事を少しずつ始め、
そのうちに妊娠をして、出産を経験しました。
出産後は昼はOL、夜は事務所専属の占い師・・という生活を
していましたが、体を壊したのをキッカケにフリーになりました。
私の占い師としての原点は・・・あの温泉街で様々なご相談者さま
に出会ったことです。
その時に「占い師は・・的確な答えが出せる占い師でなければならない」
と本当に痛感しました。
私自身が「先の見えない不安で、自分を知りたくて、占いを始めた」
という気持ち、それが今の私のスタンスでもあります。
「自分自身をきちんと知ること」が本当に悩みを抱えた時には
大切なのだ・・と。